赤い背景にこめられた思い
この絵本の主人公は、ベルギーの小学校に通う女の子。主人公は、みんながトムをからかうきっかけを作ってしまい、その後はいじめを見ているだけの傍観者になります。トムをいじめているパウルがこわくて、どうしても「やめて!」といえません。
この本を訳していた頃、あるテレビ番組を観ました。親友を自殺で失った高校生の告白を取材したNHKのドキュメンタリーです。親友が他の少年たちに呼び出されたとき、席を立てなかったことを彼は今も悔やんでいます。「もし席を立てば、次はぼくがやられる。それがこわかった……」。
こわくて、いじめを止めに入れないという気持ちは、どの国でも同じ。呪いのように人を縛り、簡単には解けないものだと強く感じました。
しかしこの本の主人公は、とうとうある日、いじめをとめようと、教室で手をあげます。絵の背景は目がくらむほど強烈な「赤」。心臓が破裂しそうな緊張、恐怖、迷い、でも私がやらなくちゃ、という決意がすべてこめられています。そこには文章がこう短く添えられていました。「だめ、あげちゃ だめ。さからったら、おしまいなんだ」と。
この絵と文の「ずれ」をどう捉えたらいいのでしょう?
なんども読み返すうち、主人公の葛藤は私の葛藤となり、その「ずれ」こそ、必要な要素だと気がつきました。そこに、迷いから決心するまでの「心の動き」と「時間の流れ」が、凝縮されているのです。読者のみなさんに、この場面で立ち止まってほしい。主人公の心の奥まで入ってほしいと思いつつ、訳し終えました。
大切なのは、いじめの傍観者である自分に気がつくこと。呪縛を破り、一歩まえへ踏み出すための小さな勇気を持つこと。テレビとはまた違う届き方で、本は心を広げ、メッセージを残します。この絵本を手に取ったみなさんが、物語にそれぞれの経験を重ね、自分自身の物語にしてくれればと、願っています。
(のざか・えつこ)●既訳書にファン・ストラーテン『ふたつのねがい』、ビーヘル『ネジマキ草と銅の城』など。
光村教育図書
『あかい ほっぺた』
ヤン・デ・キンデル・作
野坂悦子・訳
本体1,400円