「きっと」から「ぜったい」へ
私は信州に生まれ、一時離れたこともありますが、今も信州に暮らしています。ここ数年、クマやシカ、イノシシなど、山の動物たちが町にまで現れています。松本の町中をイノシシが走りまわり、六人が負傷というニュースも流れました。山際に住む子どもたちはランドセルにクマよけの鈴をつけ、ジャラジャラならして歩いています。
私が毎日見ている山々には、ずっと昔から動物たちが生死をくり返してきて、その動物たちの骨があるはずです。そんな長い長い時間を感じながら、昔の人々がしていたように、山の秩序をオオカミに祈る思いがあります。
一方、数年前にある事件がありました。地元の幼児がいなくなり東京都内の駅構内でみつかったというのです。長野新幹線の佐久平駅から新幹線にひとりで乗りこんで、東京に行ってしまったということでした。
私の弟も小学生の頃、家人にないしょで当時の信越線の電車に乗り、遠くの駅で保護されたことがありました。
「見たことのないものを見てみたい」
「電車に乗りたい」
「本当かどうかたしかめたい」
あと先を考えない子どもの行動に、大人や親はあわてふためきます。反面、やりたければやっちゃえ、と悪魔のようにささやきたい気持ちもあるのです。
大人の目がないところで、ワクワクドキドキしながらしたことは、子どもの心の奥底にしっかり残っています。そして大人になってみると、どこかで今とつながっているように感じます。
この原稿のタイトルは当初、「きっとオオカミ、たぶんオオカミ」でした。けれど書き直すうちに、「きっと」から「ぜったい」へと強く信じて気持ちをふるい起こし、その思いに突き動かされて行動する力が主人公に生まれました。
子どもだけで成しとげた一日の冒険です。周囲へ配慮し、自分がしていることの是非を見極めながら、今、君の心を動かすことにまっすぐ立ち向かってほしい、と願いをこめた作品です。
(やまざき・れいこ)●既刊に『もうひとつのピアノ』『風のシャトル』など。
国土社
『きっとオオカミ、ぜったいオオカミ』
山崎玲子・作
かわかみ味智子・絵
本体1,300円