沖縄で生まれた『月と珊瑚』
私がなぜ児童書を書くようになったのか考えてみると、私は失った子ども時代を取り戻したかったのだと思う。
私は長い間、自分の子どもの頃の出来事を封印して生きてきた。なぜなら、そうしなければ一般人として生きられないと信じていたからだ。
非嫡出子として生まれ、10歳から11歳はホームレスとして過ごし、結果として小学5年生を二回経験。小学校時代の転校は三回したが、私は心を閉ざし笑うことのない少女になった。
私は貧困を憎んだし、恐れた。今も少女時代の夢を見るとうなされる。
沖縄に移住して、子どもの貧困率が全国でもっとも高いことを知った。
子どもが貧しければ親も貧しいのは当然である。私は知りうる限りの沖縄の人々に話を聞いたり、書物を読んだ。
やがて、沖縄の経済が本土のそれとくらべて未熟であることに思い至った。沖縄資本による企業の規模の小ささでは、次々参入する本土に本社を置く企業に追いつけない。沖縄の人が運よく本土企業に就職できたとしても、なぜか沖縄の地場企業並みの給料しか支払わないという企業が多い。
それでも、子どもたちは今を生きている。子どもたちに沖縄に生まれたことを誇りにしてもらいたいと思った。
芸能の島に生まれた珊瑚は、祖母の教えによって民謡歌手を目指す。
東京から転校してきた男の子のような少女、月(るな)と出会い、珊瑚は自分の貧しさを意識し、憎むようになる。さらに追い討ちをかけるように自分のルーツの秘密を知り、失望する珊瑚。そんな珊瑚を救ったのは月だった。月も心に傷を負っていた。
戦後、それこそ「血と涙と珊瑚礁でできた」沖縄で、今を生きる子どもたちを描きたかった。
米軍基地を抱えながらも、たくましく生きるおばあを描きたかった。
何より、本土の子どもたちに、貧しさを差別するのは恥だと知ってもらいたかった。
珊瑚には幸せになってもらいたくて、10歳の日の私を重ねて描いた。
(かみじょう・さなえ)●既刊に『10歳の放浪記』『ぼくのおじいちゃん、ぼくの沖縄』『わすれたって、いいんだよ』など。
講談社
『月と珊瑚』
上條さなえ・著
本体1,400円