独立した長編物語
先年『源氏物語紫の結び』(全三巻)を刊行し、光源氏の生涯を、主軸の帖を抜粋して訳しました。「源氏物語」五十四帖を順番に読み進めると、後半に辿り着けない読者が多いことを思っての抜粋でした。かなり古文好きな私でも、通読には忍耐が必要で、なかなかできなかったのです。
若い頃は、深さを増す「若菜上」「若菜下」以降をそれほど重要に思いませんでした。けれども「源氏物語」の本当の凄みはこの晩年にあると、今は何度読んでも思います。そして、晩年のできごとを承知していないと、宇治十帖の主役となる薫大将の性格も深く理解できないのです。
今回刊行の『宇治の結び』(上下)は、光源氏の死に続く「匂宮」の帖、そして「橋姫」から「夢浮橋」までの宇治十帖を訳しました。読みやすさのため地の文の敬語を省略し、逐語訳ではありませんが、理解に必要なこと以上の創作は加えてありません。
宇治十帖には、何とも独特の味わいがあります。「源氏物語」全体から見ると、独立した長編に見え、それまでとは主題も変化しているようです。
これはやはり、主役となる薫の性格が、光源氏と異なるせいでしょう。光源氏の末子として世間からもてはやされるのに、本人は血を引いていないことを知っています。その屈託が厭世気分となり、彼の恋愛を明るい方向に進めなくするのです。
一方、同じ年頃の光源氏の孫、帝と中宮の愛し子である匂宮は、祖父から罪の負い目を抜いたように陽気で奔放で女好きです。この二人の若者は、光源氏というスターを二分したようでもあり、欠点も十分に見え、人間くさい魅力を感じさせます。
お相手の女性たちもまた、光源氏の生前とは異なり、行動に意外性を含んだストーリー展開です。特に浮舟は、全作中もっとも波乱含みの恋愛を終えます。「源氏物語」の中で宇治十帖がお気に入りという識者は、過去にも数が多いようですが、その気持ちもうなずける気がします。
(おぎわら・のりこ)●既刊に『空色勾玉』『これは王国のかぎ』『あまねく神竜住まう国』など。
理論社
『源氏物語宇治の結び』(上・下)
荻原規子・訳
本体各1、700円