祈りのものがたり
「白川静」という人は甲骨文字や金文などの中国古代文字の研究で知られる東洋学者です。東洋の文化のすばらしさを「漢字」の生い立ちを体系的に解き明かすことを通して多くの人に教えてくれました。それは「白川文字学」と呼ばれています。文字学というと難しいように思われますが、よく読むと、白川先生の文章はとても美しく、言葉の響きが音楽のようで、私はいつも先生の字書の文章でさえ、一編の詩のようだと感じていました。
先生は、その著書の中で、文字には、「文字がまだ無かった時代のはかり知れぬ悠遠なことばの時代の記憶が残されている」と言っています。もしかしたら先生は、その古代の声に耳を傾け続け、文字たちが話す遠い記憶の物語を今の私たちに伝えてくれていたのかもしれません。それなら、私は、そこに絵をつけてみたいと思いました。
漢字はその形の中に、それぞれとても多くの物語を閉じ込めています。漢字ができたのは今から三千数百年も前の中国の殷の時代です。森羅万象に霊が宿り、自然が恵みでも、畏れでもあり、人が常に神とともに在った時代、人々は神と関わることを強く望んでいました。自分たちの切実な願いを叶えるためです。その強い願望を示しているのが告・聖・問など白川文字学の要でもある「サイ」を含む多くの文字です。「サイ」は今の漢字では口の形になっていますが、もとは祈りのことばを入れる器の形で「サイ」を含むこれらの文字はすべて人々の祈りに繋がるものでした。それらの文字が三千年もの間、ほとんど姿を変えずに今も残っているのです。
私は、その物語を編んでみようと思いました。本書は、白川先生の尨大な著書の中から「サイ」に関する文章を抜き出し、組合わせ、各章が一編の詩になるようにして絵を描いた、「サイ」をテーマにしたアンソロジーです。どうでしょう? 白川静が語る遠い昔の祈りのものがたりが少しは見えてくるでしょうか?
(かねこ・つみえ)●既刊に『絵で読む漢字のなりたち』『漢字なりたちブック 1年生~6年生』『101漢字カルタ』など。
平凡社
[白川静の絵本]『サイのものがたり』
金子都美絵・編・画
本体1、800円